我々以上の世代の人には記憶が有ると思うが、秋保電鉄の開業は1914年(大正3年)で当初秋保石材軌道と呼ばれ、長町←→秋保温泉間16.35㌔を結び、全国的に有名な「秋保石」の運搬用の馬車鉄道で、1925年(大正14年)に全線電化され秋保電気鉄道、仙南交通と名称し市民の行楽の足として活躍し、1961年(昭和36年)5月に惜しまれながら廃止された。当時を知る人(実は父)の話によると一時仙台市電の車両が走っていたようで、国鉄退職者が何人か移って働いていたようだ。私の思い出は、子供の頃三神峰公園の高台から田圃の中をトコトコ走る姿と、廃止に伴ない長町の車庫から廃材や鉄クズを盗み補導された同級の悪がきの名前を今も覚えていることである。まだあちこちに秋保電鉄の名残が残って居る様なので、じっくり探索してみたい。

この題名を聞いて、ピンと来る人は生粋の仙臺っ子である。東北の表玄関口仙台駅、その中央改札口の真向かいに一際デカイステンドグラスが聳え立つ。普段気にもとめずに何気なく通り掛って居るが、市民や仙台を訪れる人達の待合場所として利用されている。このステンドグラスの生い立ちについてチト紹介します。1978年東北新幹線開通に伴ない、駅舎が姿を一新した時に作られた。絵の内容は、仙臺七夕、伊達政宗騎馬像、日本三景松島の風景が盛り込まれており、ヨーロッパ直輸入のアンティックグラスで作られ、日本で最大規模の作品だそうである。大きすぎて、内容はちょっと離れて観ないと分かりずらいが、杜の都に相応しいモダンで素敵なステンドグラスを、待ち合わせの合間に、マジマジと眺めてみて欲い!




昭和39年に撮影した懐かしい二枚の写真をご披露します。
私がまだ少年の時の写真で、東京オリンピックの聖火ランナーのドキュメント写真です。撮影場所は仙台市石名坂の旧南警察署付近。写真から当時の貴重な情報がうかがえます。道路はコンクリート舗装だったんですね!それと聖火ランナーの護衛の白バイに混じってあのヒーローも参加してたんですね。もう一枚は、憶えていますか?宮城刑務所の六角塔、「六角大学」とも呼ばれ明治の貴重な建物として今は名古屋の明治村に保管されて居ると聞いた事が有ったが、明治村のホームページ見ても有りません、行方おわかりの方情報お願いします。どちらの写真も少年時代父のキャノンⅣSb内緒で持ち出して撮影した懐かしい写真です。
先日仲の良い友人と仕事帰り、軽く一杯と言うことで仙台駅西口の中央入り口前のステンドグラスの前で待ち合わせした。いつもは何気なく通り過ぎている所だが、素晴らしいプレートを発見した。仙台をもっと理解していただくのに貴重な資料なのでご紹介します。
奈良時代には 国分寺が建立され、東隣の多賀城には国府が置かれるほど、仙台平野は陸奥国の行政の中心地として古い歴史のある土地である。しかし仙台が都市として成立したのは慶長六年(1601)伊達政宗公が仙台城を築城以降のことである。もともと、 この地に千体仏があったことから「千体」と呼ばれていた。これが後に「千代」に転じ、さらに伊達政宗公が唐詩選にある「韓雄」の七言律、「同じく仙遊観み題す」から取って、千代を仙臺(台)と改め現代の仙台に至る。正宗公による開府以前は、沼や湿地が広がる原野に人家が点在する寒村であったといいます。街路の四季を鮮やかに彩るケヤキの杜は、仙台のシンボル「杜の都」と言う美しい別名で讃えられる街は東北地方の中心都市として発展を続けている。