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ヘンリーの楽しい仲間たち

携帯電話カメラによる写真の世界

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    最近親しい写真愛好家からの話で、どこどこのメーカーの高級一眼レフで撮らなければ良い写真は撮れないとか、やれ手ブレ補正だの、フルサイズだの、明るいレンズだのとメーカーの口車に乗せられ、高額で高級なカメラを手にすれば良い写真を撮れると信じている人が実に多い。確かに4×5や2Bで撮った写真と、携帯電話カメラで撮った写真ではクオリティー的には話しに成らない程の差が有るだろう…しかしそのクオリティーだけで写真の良し悪しを語れるだろうか?高級一眼レフで撮影のピント露出がピッタリの優等生写真だけが良い写真なのだろうか…?最近の携帯カメラはなかなかの優れもので、いつ何処でも手軽に写心出来る機動性とフットワークの良さを持ち合わせている。偶には重装備のオートマチィックから開放されて、ピントや露出に気を遣わず、携帯カメラの米粒程のレンズに身を委ねもっと気楽にもっと楽しく写心してみてはいかがだろうか!マイフォトギャラリーと重複するものも有るが、少しでも写真の楽しみ方の参考として観て頂ければ幸いです。

Bicicletta

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    自転車のある風景画好きだ。

物まね四天王

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    10月13日仙北大和町まほろばホールで行われた本物より本物らしい物まね四天王による歌謡ショーの記録です、ブログ本文とあわせてお楽しみ下さい。

ヘンリーのMy Photo ギャラリー

  • 雨上がり
    今までの人生で何度素晴らしい感動のシーンと出逢ったか、感動のシーンに出逢うたび、感動を与えてくれた被写体に感謝しシャッターをきりました。これからも感動のシーンとの出逢いを心の表現(写心)で素直に写し続けます!  月1~2作品は必ずアップしてますから、時々御観覧下さい。

楽しい写真仲間の楽しい写真展2009年テーマ「光」

  • 小池重治
    The pleasant photograph exhibition .2009 title "light" of a happy photograph friend 参加メンバーは写真を仕事にしている人や、心豊かな人生を写真を通して楽しんでいる写真家達の集団で、仕事としての写真や形にはめられた構図がどうの、写真のクオリティーがどうのなどと言う形式的な町の写真コンテストの次元と違い、日頃被写体から受けた素晴らしい感動を、あくまでもプライベートな視点で自由に楽しく表現し、今回は「光」と言う共通テーマを各自自由な発想で遊んでみました。最後までゆっくりと御観覧お楽しみ下さい。

第3回楽しい写真仲間の楽しい写心展 テーマ「輝き」

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    大変お待たせ致しました。さあ 第3回楽しい写真仲間の楽しい写心展の開幕です。我々の写真展にはグランプリも、金賞も、副賞のフイルム一年分の賞品も有りません。それは良い写真とは高額なカメラでの撮影や、偉い写真家先生が個人的な見解で審査するものだけが良い写真では無いと思っているからです。何気ない生活の中で素晴らしい被写体と出逢い、全身で感じた感動を観る人と楽しく共有出来る作品が本当に良い写心と考えるからです!我々の趣旨に賛同し、日頃仕事でカメラを手にしている仲間達も手を休め、気軽にプライベートで携帯やコンパクトカメラを片手に参加してくれるケースも毎回多くなって来ています。どの作品も自分流がギッシリ詰った写心ばかりです。最後までゆっくりご観覧ください。  楽しい写真仲間募集中!我々と楽しく写心 しませんか。                         HENLY

アメリカ空軍太平洋音楽隊ーアジア Jazz & Pops Live 2010

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    The United States Air Force Band Of the Pacific-Asia Jazz & Pops Live 2010  Pasific Trends & Final Approac 2010 ・ 2 ・ 20 Sat 

東日本大震災

2014年3月11日 (火)

あれから早3年

未曾有の大震災から早3年閖上は高台が無く逃げ場も無く、多くの犠牲者が出た所だが、仙台市中心部から車で僅か30,40分程の所、閖上の災害の象徴日和山(閖上の希望の丘)で14時46分鎮魂と祈りを捧げた。丘から眺めた町並はまだまだ3年前の壊滅状態と変わらないが、被災者の数程のドラマにケジメをつけ手を合わせたら涙がとまらなかった。Img_5820 仙台市内でも朝からいたる所で半旗が捧げられた。震災の年の5月に生まれた孫も今年3歳の誕生日を迎える。 Img_5863 Img_5847 Img_5868 Img_5867

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2014年2月25日 (火)

2400キロの旅

未曾有の惨事から早3年が経とうとしています。                    貴方はこのポストの事お分りですか?
 西表島へ2400km歌津の郵便ポスト、一年9か月の旅から戻る。
震災による津波で海へと流された南三陸町歌津地区の郵便ポストが
遥か2400km離れた西表島のユツン川河口に流れ着いたのは2012年
12月28日のこと。びっしりと付着した貝や海草が、長い漂流を物語っている。2013年8月に返還され今もそのままの姿で「伊里前福幸商店街」に展示されている。Img_71201

2011年6月15日 (水)

ヘンリーの爺砲談

P0943_2 福島原発事故を受け放射能汚染を懸念する者の脱出作戦が静かに進行しているようだ。それも行動力のある若者が多く、特に女性の方がより敏感に反応している。社会的に身動きの取れない中高年者はなす術もない。ここ宮城県もジワジワとその影響が出始め、福島と隣立する市町村では農作物にも放射能汚染の影が忍び寄る。政府や東京電力の無知で無責任で曖昧な態度には、敏感な若者だけが不安になる状況ではない。若者の脱出作戦も色々なケースが伝わってくる。大手一流デパートの花形店員が、キッパリ未練無く退職し関西に移り住んだとか、これからの子育てに悪影響と何時でも外国に脱出出来るようパスポートを家族分申請した若夫婦が居るとか、若者だけではない、大企業では支店長クラスが部下のことなど考えず、転勤と称し家族ぐるみでここ東北から出来るだけ遠い支店に逃げた者もいる。遠くに移転するに当り親戚や知人など当てに成るものが有れば良いが、どっぷりこの地に根をおろし脱出など到底考えられない者が殆どで、突然移られ受け入れる相手方も対応が大変だろう!今回天災で起こってしまった事故については仕方ないとして,被害を拡大させた国や東電の対応が悪すぎる!とは言え私自身原発については専門知識など無い中で考えても人名を優先していち早く収束案を考えなければいけない。例えば分厚いコンクリートで上も下もまわりもガッチリ固めてしまうとか、日本の最先端技術で原発を丸ごと囲んでしまうバリアが出来ないものかと単純に考えてしまう。しかし偉い学者や原発専門関係者達が時間と金を掛けて対策を練っても、てこずって居るところを見ると、やはりそんなに単純で簡単なものでは無いのだろう。それにつけても国や東電の対応が悪過ぎて、自分達の面子や都合を優先させ何の罪も無い被災している国民や、命を張って原発内で作業をしている社員、関係者の危険性など二の次で、最後には穴拭いまで我々に押し付けようと言う勢いである。政府や東電との温度差を埋める為、対策参謀や社長室を福島原発内に速やかに移動し、被災者や、命を掛けて働く社員と同等の目線で、真剣に対策に望むことを提案する!国民も日本独特のお人好しで曖昧な国民性を捨て、良いことは良い、悪いことは悪い、YesかNoかをはっきり主張して行かないと、その国民性を見越した政府や東電に丸め込まれて泣き寝入りするのは明らかである。残念な事に福島の農業関係者から自殺と言う犠牲者が出た。これは国や東電から殺されたようなものである。もう一つ序でに言うと、この事態の中で茶番を繰り返している政府、与野党逆転してどちらが政権を執っても、何一つ遣れないのは今と同じはず。終始相手のこけおろしで、政権がかわったら何をどの様にと言う現実的で具体的な話が何一つ我々に響いてこない!福島のどこかの町長が「国会で訳の分からん事、ぶざまに騒いでる場合では無いだろう」と激怒してしていたが、痛いほど分かる!最悪原発の収束が不可能で国を捨てて国民総脱出と言う事態に成ったなら、これからの若者はともかく、私はこの大好きな日本に残り、余生は好きな事をし好きな物を食べて勝手気ままに生きて行ける様保障だけは必ずして貰う!!そうならない様心から願う次第である。

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2011年5月24日 (火)

ラストステージ 

3.11大震災で我々は不幸にも同じ時間、同じ瞬間に、同じ恐怖、同じ苦しみ悲しみを体験した!歴史は何事も無かったように繰り返される。我々の先祖達も経験して来たように。時代は日進月歩素晴らしい進化を遂げ、近代的で快適な生活を営む事が出来るようになった。だが、自然の前では全てが無力で、人の力のはかなさは時代が変わってもかわらない。しかしこの度の震災では日本中、いや世界中の温かい人類愛に接し、勇気と希望を頂いた。人は一人では決して生きられないが、苦境に立たされたとき人は強くなる。http://henly-i.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c85c.html 我々人類は自然にもっと優しく接し、生かされていると言う謙虚な気持ちを持ち、手を取り合い力を合わせ、この素晴らしい地球が有る限り前向きに進みたい!1000年に一度と言われた大震災を味わった当事者として、又歴史の一頁の生き証人として、後世に伝える真実の記録映像を皆様と検証して来ましたが、明るい復興の光が見えてきた今、今回をもちまして災害の悲惨な映像の記事に幕を引きたいと思います。Photo_2

2011年5月22日 (日)

未来に向かって明るい復興の兆し!(仙台新港)

東北の空の玄関が仙台空港とすると、仙台港は海の玄関口である。どちらも今回の津波で大打撃を受けたが、2ヶ月過ぎた今やっと明るい復興の兆しが見えて来た。石油コンビナート、車の積み出し、大型外国貨物船の入港、フェリーの要港として東北の経済を支える重要基地となっている。しかしここも今回の津波により、多くの尊い人命や港基地としての機能が失われたが、今逞しく復活しようとしている。大型定期フェリーの入港再開、車の積み出し再開、大手ビール工場の操業再開、各種港機能の復旧作業が明るい希望に満ち眼の見張る勢いで進んでいる。だが一歩裏にまわって見ると、被害の爪痕がまだ色濃く残っていた。 ある被災者が言った。「私はあの恐怖の瞬間が常に頭から離れず、今でも毎晩不安な気持ちで眠りにつき、朝目を覚ます時、な~んだ 全てが夢だったんだ!!」と 目覚める事を祈りながら眠ると…。Img_7812_3 Img_7716_2 

Img_7717Fh000024 Fh000023_2 Fh000014 Img_7789 Img_7794 Img_7811 Fh000013 Img_7728 Img_7756 Img_7780 Img_7747 Img_7734 Img_7752 Fh010014 Img_7709_2 Img_7700 Fh000010_2 Fh000011 Img_7704 Fh010021 Fh010015 Fh010018 Fh010017 Fh010019 Img_7589_2 Img_7593 Img_7829_2 Img_7839 Img_7824

2011年5月17日 (火)

被災地は今。(宮城県七ヶ浜町)

宮城県の湘南と言われ、地図で見ると下唇のような七ヶ浜、ここも3.11の津波で壊滅的被害を受けた地区だ。仙台新港と塩竈港の間に位置し、仙台から車で30~40分の風光明媚で穏かなリゾートビーチと言った所だ。今は七ヶ浜の避難所の一つと成っているインターナショナルな国際村や、戦後の名残を残し今も点在する外国人の別荘とプライベートビーチ 通称外人浜は、今ではお洒落なサーファーのメッカとなっていた。又子供の頃夏休みには親と誰もが訪れ、明治21年に開設された東北で一番古い菖浦田浜海水浴場や、二ヶ月に一度のペースで相方と新鮮な海の幸昼定食を楽しんだ、私の自慢の隠れ家となっていた「とと家」は少し高台で建物の原形は残したものの、やはり津波に襲われ今の所営業再開の見通しは立っていないと言う。勿論ここも周りは無残な瓦礫の山で全てが津波で変わり果てた姿となった。私の写真関係の知り合いもここ七ヶ浜に多く、安否が気になり訪れた。幸い知り合い達の所は高台に有り、家も店舗も難を逃れ無事だったものの、彼らの自慢だったこの地の変わり様には此方まで胸が痛む!サーファーで賑っていた外人浜には、おそらく仙台新港のコンビナートから流されたと見られる巨大コンテナーが、幾つも無残な姿で横たわり津波の脅威的力に改めて驚き、仙台市宮城野区の深沼で津波にのみ込まれ消息を絶った県警のパトカーが塩竈港で発見されたと言うショッキングな話もうなずける!一時も早い復興を願い、あの美しい七ヶ浜が以前のように蘇るよう祈らずにはいない!!Fb81040ae9a2f3b563f9d967266cbc52_2 Img_7655 International_village_2 Img_7661 Fh000010_3 Fh000005 Fh000003 Fh000002 Img_7649_2 Photo_2 Img_7607 1_2  Takayama_summer_resort_for_nonjap_2 Img_7634 Fh000014_2 Fh000013

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2011年4月26日 (火)

ポポポポ~ンに仕組まれた国家的陰謀の臭い…!

こんにちは~ ありがとう~ こんばんは~ さよおなら~ 3.11の震災以来しつこく繰り返し続けられた余りにも意味の無いACジャパンのコマーシャル。可愛いキャラクター達が挨拶の大切さを優しく諭してくれる。謎の一番左の青いマンボウも話題となっている。しかし放送界の都合とは言え、何故あの時ポポポポ~ンなのか不思議に思った方も沢山居ると思う。気が付くと、私自身いつの間にか人との挨拶の口調が、こんにちは~ ありがとう~ ~~!これってあのキャラ達と同じじゃ~ん!! これは微妙に仕組まれた国家的陰謀で、何かのマインドコントロールに違いない…?と ヘンリーは密かに感じ始めている。Popopopo_4

2011年4月22日 (金)

今回の震災で学んだこと。

震災から一ヶ月以上が経ち、復興の兆しが見えてきて一応私が通勤に利用しているJR東北本線もダイヤがほぼ通常に戻り、仕事前の朝マックも以前のように復活し、あの時の時の流れを少しは冷静に振り返る事が出来るように成った。とは言え津波で行方不明になり、未だ見つからない方が沢山いるなか、私なんかが大上段から分かったように言う事では無いが、いつ起きてもおかしくない地震大国日本の全国の皆さんに一つでも何かの参考に成ればとの想いで震災から学んだ事をランダムに纏めてみました。Img_1672_2

地震が来たら必ず津波を想定し真っ先に高台に避難し、絶対に引き返してはならない!私の知り合いでも避難時間が有ったにもかかわらず、家に大事なものを取りに戻り津波にのみ込まれた方が非常に多い。

たかが水、されど津波の水の途轍もない破壊力は消して侮れない!その力の下では人は余りにも無力で成す術が無い。

Image 普段便利と思っているものは、時に私達に牙をむく!(原発など)

災害下での移動手段は人力(足やフルオープンカーの自転車)が一番頼りになる! 気力体力の向上にもなる。Dscn1351_2

携帯電話やデジタルカメラは普段何気なく便利に使っているが、電気が無いとなんら使い物に成らない!今回以前にワゴンセールで100円で買っていた電池式充電器や、車のシガライターから充電出来る充電器が、大活躍した。Img_1711

ライフラインがまだ復旧していないにもかかわらず、早々に店をオープンさせ、食の有り難さと元気をくれた幸楽苑や牛丼のすき家のやる気と思いやりに感謝し、これからはお世話になった処は今後も贔屓にしなければならないと思った!

コンビニにも力関係が有り、セブンイレブンはオープンも早かったし、品揃えもダントツで、早くから弁当、おにぎり、おでんまでも並べる余裕ぶりだった!1 111_003 111_005 

普段車でしか聴かないラジオも災害時には大変心強い情報源と成る!電池式トランジスターラジオと懐中電器と使用電池は買いだめでは無く必要最小限常備したい。

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災害時には単一、単二と言った電池が品薄で手に入りずらい!単三電池を何本か束ねて単一、単二として使える便利なアダプターが有る!ダイソーで低価で購入できる。

ガスが使えない中でどうしてもパスタを食べたいとき便利なグッツが有る!電子レンジで麺を茹でるタッパーがあり、パスタだけでなく、ペンネや即席ラーメンでも使える。Img_1783_2

JRの電柱は震度6程度で簡単にバタバタ倒れ、復旧にかなりの時間がかかると言う事実!Img_1770

ライフラインの中でも水道は飲料水は勿論、生活用水としても大切な役目だが、給水車が来るまでの飲料水用にはペットボトル、生活用水用には、風呂に常に水をいっぱいにプールして置きたい!又暫くシャワーや風呂が使えない日が続くので、ボディーケアーグッズや、寝たっきりの老人や入院患者用のボディー清掃剤なども有ると有り難い。私の友人でT-FALで何回もお湯を沸かし、4時間掛けて風呂に入り長い黒髪を洗ったと言う根性の人もいる。又これも切実な問題だが、トイレ用水はバケツで差し水するより、タンクに水を入れた方が勢い良く流れる。Img_2036_3              

被害の甚大な被災地の悲惨な瓦礫をバックにニコヤカにVサインで記念撮影をするアホガキカップルが居る中、献身的にボランティアで復興作業や、後方支援に一生懸命汗を流す若者も実に多い事を知り、いつも今時の若者に苦言を投じているへんりーだが、今時の若者もなかなか遣るな~と日本の未来に明るい光を見い出した。それに比べて政治家のクズぶりが益々クローズアップされた!

非常事態下では、精神的にも経済的にも単独より、寄り合っての集団生活の方が 効率が良い!この時ばかりは、ヘンリーも独り気ままにで無いほうが良い。

まとめ。備えあれば憂いいなし!災害用に準備したいもの。

ローソク、携帯ラジオ、電池、飲料用ペットボトル、缶詰、米(日本人は御飯、味噌、塩、梅干しなどが有れば生きられ、電気炊飯器が無くても飯盒やストーブの上でも上手く炊ける) ガソリン5ℓ~10ℓの補助タンク(現在新品は手に入りにくいが、並ばなくてもガソリンや灯油が買えたスタンドが結構多かった。)出来れば常に満タンにして置くのが望ましい!飲料水や食品、ガソリンなどは、ただむやみに買占めに走らず、必要最小限にとどめたい。

3月12日以降の第二章は原稿が10枚にも及ぶ大作で現在作成中です、写真もふんだんですので、もう暫くお待ち下さい。

2011年4月15日 (金)

国家的大惨事、何を頼りにすれば良いの!

毎日余震に震えながらストレスを溜めていると、愚痴の一つも言いたくなる。震災のどさくさに紛れて菅政権のコケ降ろしに終始して国民の生活など何一つ頭に無く相変わらず主体性が無いのに強気な自民党、菅政権がどうしようもないクズなだけで、やっぱ自民党で無ければと言う訳でもない。いくらおしとよしでおめでたい我が日本国民でも理解出来るところである。どうしようもないクズ民主党と言えば我が郷土を代表する大先生、岡崎トミ子オバちゃま。地元の災害にも関わらず余り目立った動きが聞えてこない!世論からは国賊と罵られ、政府からは見捨てられ、郷土の支援者からも見放され、いじけてキムチのやけ食いなんかしてる場合じゃないよ!小沢君君も地元がもっとも酷く被災しているのに、シカトこいてデカイ面してんじゃねえよ!天ちゃんでさえ律儀に言われた通り被災地回りしてるのに、おまえら少しは名誉挽回に先頭を切って立ち上がろうとは思わないの、これで駄目なら救いよう無いかも~!岡崎トミ子で検索すると、実に多くの彼女に纏わるエピ騒動が紹介されています。   63c85fe2

2011年4月14日 (木)

人間だけが犠牲者では無い!

昨日まで何気ない団欒の生活の場だった温かいマイホームや家族の幸せを運ぶ愛車達も又多大なる犠牲者である。同じ宮城県でも津波の脅威的破壊力の被害をうけた地域と、私の住む今やライフラインが全て復旧した地域は車でほんの数10分しか離れていない。私達は自分で消化しきれない悲惨な現場からは目を背けたい、事実として認めたくないと言う気持ちに成りがちだ。しかし極近くで起きた現実、仕事上でも個人の付き合いの中でも、リアルタイムに衝撃の現実と向き合わなければならない。テレビ、新聞で遠巻きに、又心の片隅で人事のように見ている惨状の現場と実際の現場では違いがあり過ぎ、一ヶ月過ぎた今でも被災地には瓦礫化した車が無造作に転がって居る。実際の現場で被災者と同じ目線同じ気持ちに立ったとき、初めて被災者の苦しみ、悲しみが理解共有でき、それに対する思い遣りに違いが生じると思う。どんなに文明が進んだ現代でも自然の途轍もない驚異と破壊力の前では人は余りにも無力でなす術がない。そんな気持ちであえてカメラを向けた。Fh000032_3 Img_1853_4 Img_1848_2 Fh000029_3 Fh000035 Fh000038 Fh010023_3 Fh010020 Fh010003