我等が団塊世代の青春時代ファッションと言えば、VANやJUNの紙袋を小脇に抱え 加山雄三やマイク真木のようにMG5やバイタリスでヘアースタイルをビシっと決め、平凡パンチが手本本のIVYが主流だった。ファッションに関しては今も昔も仕掛けの仕組みは余り変わらないと思うが、当時時代が大きくかわろうとしていたが、通信手段やインターネットも今のように発展しておらずファッションの中心地としての東京と地方との格差が有り、新しい情報は、1週間以上のズレが有ったような気がする。当時の青少年のファッションとして広まったのが、胸に可愛らしいペンギンのマークの入ったマンシングウェアーのトックリシャツとネービー色に英文字が大きく入ったマディソン・スクエア・ガーデンバックだ。今考えるとなぜあんなに流行したのか理解出来ない!確か上野のアメ横のどこの店にも並び、偽者もかなり有ったようだ。今のように個人が自由に自分に合ったお洒落を楽しむ時代からは考えられないほど純粋で素朴な時代だったのだ。でもいくら今は自由で何でも有りの時代でも、顔や頭 擦れ違うと確り加齢臭漂うような御老人がファッションだけはバリバリ若者と言うのはどこか不自然さを感じるのは私だけだろうか?
時代は60年代後期~70年代初頭のアメリカングラフティー華やかな頃、巷ではR&BのJ.B ウイルソンピケット フォートップス オーティスレディング テンプテーションズ スタイリスティクスらが流行り、毎日米軍基地の極東放送FENからはノリノリのソウルミュージックが流れ、新宿や六本木のソウルディスコ(その頃ディスコと言う言い方は無かった)ではソウルチャチャやバンプのステップを格
好良く踏む若者で週末は賑わっていた。
その頃のアメリカンファッションはVANやケントに代表されるアイビィーが主流で、横浜や横須賀の米軍基地のヤンキーとの接触がお手本で、中でも限りなくアメリカに近い福生の横田空軍基地第2ゲートの近くに、沢山のカスタムテーラーが軒を並べていた。正しく雰囲気はアメリカそのもので、フェンスの中はモロアメリカ合衆国である。週末には基地内に潜り込みダンスパーティーで盛り上がり、しっかり国際親善に一役かっていた。因みにヘンリーとは、その頃の私のニックネームである。時代は流れ、円高やオイルショックなどの影響で殆んどのカスタムテイラーが姿を消したが、最近まで有ったラッキーテイラーやタレント忌野清志郎、東京スカパラ、ゴスペラーズ、ブラザーコーン等のステージ衣装を手掛け、福生では一番の老舗テーラーK・ブラザース http://www5a.biglobe.ne.jp/~kara/ は今も健在で、コンポラ仕立てで頑張っている。その第2ゲートの一角にヘンリーご用達のジャクソンテーラーが有り、ちょっぴりアウトロウだが 確りインパクトがあるコンポラ(コンテンポラリー)仕立ての舞台となる。数あるテーラーの殆んどがチャイニーズで、コンポラだけでなくセクシーなチャイナドレスなども手掛けていた。生地が豊富で特にコンポラにむく玉虫系の生地もいろいろで自分に合う色を楽しく選べた。勿論商売は米兵相手で、本国で作る1/10程の価格で作れ、一人で何10着も作る者もいた。 
コンポラファッションは、細身の襟にクルミボタンの一つ掛けのジャケットと、ズボンは細身で15cm以上のハイウエストで、クルミの三つボタン。シャツは正装用は
無地のピ
ンホール式の小さめのラウンドカラー襟にジャケットの共布の細いナロータイ。ダンス用には、ジャケットの裏地と同じ生地で、イタリアンカラーにクルミボタンの提灯袖と言うように拘りの凝った作りになっている。靴はリーガルのバンプローファー、ヘアーは黒人っぽい短めのアフロかリーゼント、おまけに不良っぽい斜め45度の眼鏡と言うのが定番だった。仙台にも、ソウルダンスの本格的ステップで最新の情報基地エプロンポケットがあり、日本のソウルダンスステップ確立の立役者、ニック岡井・クックのソウルブラザースも時々訪れている。ニックは今でこそソウルダンスのゴットファーザーと言われているが、当時はキャシャでジャニーズ系っぽい可愛らしいボーイだったが、2007年11月11日に60歳でこの世を去っている。あの時手解きを受けたステップは今だ身に沁み、どこに出ても自信があるヘンリーである。画して新宿や六本木のソウルディスコ(ゲット、チェック、城、ソウルトレイン、メビウス)などではダンスクラッシックステップのコンポラ族で埋め尽くされたいたのである。 情けない事に体形的に今は絶対に着れなくなったコンポラを見るたびに、60年代の限りなくアメリカに近い福生と、華麗なニックのステップが目の前に鮮やかに浮かび上がる…!

