褌が似合うだけが日本男児ではない!
またまた大げさな話で恐縮ですが、この世に生を受けたものには好むと好まざるとに関わらず必ず一度は公平に死が訪れる。死んだらその瞬間から本人は全て無となり、天国があろうと地獄があろうと、それは逝ってからのお楽しみで後はケセラセラ!死んでから天国で安泰に過す為に、お行儀の良いつまらない人生を送るのは真っ平だ!宗教的問題はさて置き、私は死んだら葬儀や戒名など一切要らないからその莫大な
財産
で旨い物を食べ、ワイワイと知人達で楽しく見送って欲しいと側近には常ずね話しており、その祝賀パーティーで流す故人本人のスピーチ録音の原稿・BGMの曲順やパーティー会場(ハワイのビーチホテル)への招待案など全て完成しており、故人・生人一体となった大イベントが本番を待つばかりとなっている。ここでNHKのドラマや歴史書などでご存知、唯一本物の日本男児と言える日本一格好良い男白洲次郎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AC%A1%E9%83%8Eに登場していただく。どんな人物かは既にご存知の通りだが、英国ケンブリッジ大学を優秀?な成績で卒業し英語堪能でスポーツマン、考え方や やる事はワイルド、吉田茂首相の側近中の側近で外務大臣も勤め敗戦後の日本で「我々日本は戦争に負けたが、奴隷になった訳ではない!」との主張のもとに堪能な英語を駆使しGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と堂々と対等にわたりあい進駐軍からは「徒順ならざる唯一の日本人」といわしめた。氏に纏わるエピソードは沢山有るが、昭和天皇からダグラス・マッカーサー元帥に対するクリスマスプレゼントを届けたときに「その辺にでも置いといてくれ」とプレゼントをぞんざいに扱われた事に激怒し「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事だ!」と怒鳴りつけマッカーサーを慌てさせたらしい。又サンフランシスコ講和会議に講和会議主席全権顧問として出席するため吉田茂同行の機内で、全員正装の中氏だけは「たかがJパンとTシャツの国に行くのに正装はいらない!」とJパンとTシャツで通したと言う。当時の敗戦で自信をなくした日本の中で、この様な言動は人によっては変わり者扱いをする者もいたが、復興の励みとなり希望と勇気の石据えになったことは間違いなく、日本男児の鑑と私は思っている。身長180近く、足が長く、日本人離れしたハンサムフェイス。日本で初めてJパンを穿きJパンとTシャツ姿はジェームス・ディーンのようで当時としてはハイカラ過ぎた。1985年83歳で他界するまで、粋にポルシェ911sを乗り回す1902年生まれのバリバリの明治男である。晩年東北電力の会長も勤め、東北の発展と生活の向上に多大なる尽力をつくされた。氏が遺した遺言状の内容を知った時、遣られた~と思った!!その内容はシンプルな2行「葬儀無用!戒名不用!」伝説の日本で一番格好いい男の生き様を象徴する遺言状の内容は私の心情とあまりにも一致し衝撃を受け感動した。私も含め薄っぺらな日本男児もどきが蔓延るなか、氏の生き方を少しでも勉強しこれからの人生の糧にしようと私は思っている…!



